ロリコンメディアの現代史 斉田石也インタビュー(1/3)


ロリコンメディアの現代史 斉田石也インタビュー(1/3)

文・インタビュー/オトナくん

こんにちわ! オトナくんです!

いきなりですが、皆さんは1980年代と聞いて、どんなイメージを浮かべますか?

僕はこの時代を直接知りませんが、なんとなくいけすかなさだけは感じてます。

そもそも好景気ってだけでも腹が立つっていうのに、当時の流行語や社会現象を調べてみれば、そのあまりに軽薄なことバイキングにおける坂上忍の如し。

ジャパン・アズ・ナンバーワン? コムデギャルソン? テクノカット? 金妻? おいしい生活? 構造と力? ゴクミ? マハラジャ? エリマキトカゲ? 神田正輝と松田聖子が結婚? バブルスくん来日?  はぁ? なんなんですかそれは?

その後の失われた30年を生きるこちらとしては、なぁんで調子に乗るだけ乗ってケツを拭き損ねたぶんのツケをこちらが支払わされにゃならんのだと、例によって言いたいわけ。

この際、はっきり言えば、僕が全身ユニクロ(一部しまむら)なのも、僕の財布に入ってるカードが失効したマルイカードだけなのも、僕の勤労意欲が山下清なみなのも、女好きなのに万年童貞なのも、それにも関わらずなぜか性器ヘルペスに罹患してるのも、すべて80年代をのうのうと生きたあんた達のせいなんだ。この恨み、どうしてくれよう?

かように僕は1980年代という浮かれた時代が大嫌いなわけなんですが、しかし、そんな僕でも一点だけ、この時代が成し遂げた、ある偉業については認めざるを得ないんです。

今振り返り、1980年代に起こったある事変を名付けるなら、さしづめ「ワレメの乱」。

そう、1980年代が成し遂げた偉業とは他でもありません、少女のワレメ写真の解禁、つまり、1980年代とはロリコンメディアの自由化時代、18歳未満の少女のワレメを合法的に堂々と見ることができた、奇跡的な10年間だったのです!

というわけで、いくらネットで「80年代 流行」と検索しても出てこない、本当の1980年代についてを知るべく、今回はロリコン界の生き字引きとして知られる作家の斉田石也さんに、日本のロリコンメディアの歴史についてお話を聞いてきました。

「ロリコンである」ことがまるで「隠れキリシタンである」かのような扱いさえ受けかねない現代、なお一層の光輝を放つ幼きスジに馳せる思いも、またひとしお。

全ての始まりは『リトル・プリテンダー』だった

オトナくん 今日は現代ロリータ史の生き字引きである作家の斉田石也先生に、ロリコンメディアの歴史について教えてもらいたく思ってます! 斉田さんは80年代や90年代のロリコンブーム時に、ロリコン雑誌などを舞台にライターとして活躍されていたわけですが、そもそも斉田さんがロリコンメディアに関わるようになったのはいつ頃なんですか?

斉田さん 私がまだ30歳くらいで、普通のサラリーマンをしていた頃だから、あれは1984年になるのかな。当時、今はもうほとんど存在していない直販雑誌というジャンルがあったんです。ようは東日販を通さずに直接書店に営業をかけて置いてもらう雑誌のことなんですが、その一つに『CANDY』という小冊子のようなロリコン雑誌がありました。そこにロリコン小説を投稿したのが一番最初ですね。

オトナくん てことは、それまではいち読者だったんですね。

斉田さん そう。あくまでも趣味の延長として小説を書いてみて、応募してみたら掲載されたと、そういうわけです。

オトナくん 斉田さんはそれまでもずっとロリコンだったんですか?

斉田さん ロリコンというカテゴリーを認識してはいなかったけど、もともと子供に興味があったのは確か。そういう癖が自分にはあるということは自覚してました。ただ、若い頃はそんな癖を持ってるのは地球上でもほんの一握りの変態だけだろうと思ってたんです。それが実は違うんだってことを知ったのは、79年にミリオン出版から出た『リトル・プリテンダー』というロリータヌード写真集の大ヒットによってでした。

『LITTLE PRETENDERS』(1979/ミリオン出版)

オトナくん ロリータヌードが大ヒット!?

斉田さん おそらくはどこかのモデル事務所の女の子たちだと思うんですが、まあみんな10歳前後の少女でね、それがフルヌードを晒しているわけです。もちろん、ワレメまで修正なしでバッチリ。これがミリオン出版の新社屋が建つくらいにバカ売れしたんですよ。私としては、こういう少女ヌードがボーンと売れるということ自体が衝撃で。あくまでもニッチな性欲だと思ってましたから。

オトナくん ワレメまでくっきり……、すごい時代ですね。発禁とかにならなかったんですか?

斉田さん 当時は猥褻か猥褻じゃないかを決める基準が毛、つまりヘアーだったんですよ。82年にも関根恵子(現:高橋惠子)という女優が『PICTORIAL』という写真集を出したんですが、そこに滝のところで逆光を浴びて全裸で立っている写真があって、まあうっすらヘアーが見えていた。で、それだけで摘発されたんです。その点、少女にはそもそもヘアーが生えてない。そこを逆手にとって「ないものはないでしょ」とフルヌードを出してみたら通ったんですよ。まあ、通ったというより、警察の動きも今みたいに迅速じゃなかったから、とりあえずスルーされた感じ。ワレメについては生殖器ではなく排泄器官が見えてる、くらいの解釈だったと思います。

オトナくん 大人のマンコはダメで、子供のワレメはOK……、今とは180度違いますね。バカ売れしたというのも、もしかしたら当時の男たちのマンコ見たい願望が一挙にそこに集まったのかもしれませんね!

斉田さん そうかもしれません。とにかく売れまくってましたから。もちろん他の出版社も黙ってませんでした。ミリオン出版がミリオンムックという形で『リトル・プリテンダー』を出していたので、その後、すぐに各出版社がわざわざムックシリーズを立ち上げて。2、3ヶ月内に似たようなロリータヌード写真集が30冊くらいは出てましたね。

オトナくん うおお、ロリータが社会現象に!

斉田さん 当時、私は横浜の西口に勤めてたんですけど、その頃は大手だった有隣堂みたいな大型書店の正面入り口のところにその手の写真集がダーっと平積みされてましたからね。まあ興味ない人からみたらグラビア系写真集の1ジャンルにしか見えなかったんでしょう。世間がまだロリコンという層を知る以前の話ですからね。

日本を揺るがした少女のワレメ旋風

オトナくん ちなみに『リトル・プリテンダー』以前というのは、ロリコンの人たちは何を読んだり見たりしてたんですか? やっぱり小説とか?

斉田さん 小説もロリコンにとっては重要なメディアでしたが、そもそも全体的にゆるい時代だったんで、『アサヒカメラ』とか普通の写真誌にもコンテストで投稿されてきたような少女のヌード写真とかが掲載されてたんです。まあ親が日常の1コマとして撮影したものとかですね。お風呂に入っているところだったりとかで掲載サイズなんて3センチ5センチ程度ですが、私たちはその一枚のためにその雑誌を買ったりしてました。あるいは、スーパーマーケットなんかで下着のセールをすると、下着姿の子供の写真とかが広告に掲載されてたんです。そういうのをコレクションしたりもしてましたね。

オトナくん ロリコン向けメディアじゃなく、日常に潜むロリな写真を探していたんですね! なんか宝探しみたいで楽しそう。

斉田さん まあブームになる前は牧歌的なもんでしたよ。それぞれ、ひっそりと楽しんでたわけですから。『リトル・プリテンダー』はそういう意味で状況を変えた一冊ですね。ロリコンたちにロリコンの仲間がいることを知らせたのみならず、ロリコンが商売になるってことを出版業界に知らしめた。写真集が売れたことで、それまで自販機本やビニ本を作ってた人たちが、ロリ系の方にも手を染めだし、そうして作られるようになったのが、最初に話した直販本系のロリコン雑誌です。代表としては群雄社の『アリス』、JOY企画の『CANDY』、花神社の『みるく』、若葉出版の『リトルクローバー』、さーくる社の『ぺぴ』あたり。

オトナくん おお、怒涛の創刊ラッシュですね。

斉田さん いずれも1983年前後に創刊してますね。『ぺぴ』をやっていたMさんという人は僕の師匠格にあたる人だったんですけど、2折くらいしかない白黒の小冊子だったにもかかわらず、通信販売で一冊一万円くらいで販売して大儲けしたらしいですよ。

オトナくん そういう直販本系のロリコン雑誌には何が掲載されてたんですか?

斉田さん 小説、イラスト、あとは少女の街角スナップですね。公園なんかで遊んでる女の子のパンチラだったり。作ってるのは実際のマニアが多くて、なんとなく本屋の片隅に置いてあって。私も読んでました。

さらに、こうした直販本の創刊と同時期、正確には1982年に商業出版の方で白夜書房の『Hey!Buddy』がロリータ専門誌への転向を宣言するんです。発行部数は8万部くらいありましたから、ある意味ではこれが本格的なロリコンメディアの第一号と言っても過言じゃないでしょう。

オトナくん 『Hey!Buddy』の名前は僕も知ってます! 実際、どんな内容だったんですか?

斉田さん まあ少女のグラビアから、いろんな小さな情報まで細かくやってましたね。今だったら即お縄ですよ。いわゆる“犯罪のやり方”を紹介してたわけですから。特集内容が「少女を手なづけて写真を撮るにはどうすればいいか」とかですよ。今じゃ考えられません。この過激路線は『Hey!Buddy』の増刊だった『ロリコンランド』も同様ですね。結果、『ロリコンランド』は1985年に発禁になってしまいます。これは「少女のワレメ」に対する取り締まりの最初じゃないですかね。

オトナくん おお、ついに規制の波が来たんですね!

斉田さん とはいえ、まだグレーな感じでしたね。出版業界的にはまだロリは売れるぞっていうムードがありましたし。しかし、実際には層はそんなに厚くなく、専門誌が二誌並行するほどの需要はなかったんです。だから『Hey!Buddy』が売れていた頃は『Hey!Buddy』の一強で、『Hey!Buddy』が1985年に犯罪写真の掲載で廃刊になるちょっと前になると、今度は三和出版の『ロリコンHOUSE』が創刊されて、みたいに、その時々で代表する雑誌が変わっていってる感じでしたね。『ロリコンHOUSE』はその後『ロリくらぶ』に誌名変更してますが、私もよく記事を書いてましたよ。最初は本格ロリータ雑誌でしたからね。

オトナくん 三和出版といえば、今も続くマニア雑誌の名門出版社。それにしても『ロリコンHOUSE』ってド直球というか、すごい誌名ですね。ちなみに、その頃になっても『リトル・プリテンダー』のようなロリコンヌード写真集は出てたんですか?

斉田さん まだポツポツ出てましたよ。それこそ三和出版は『ロリコンHOUSE』を作っていただけあって、定期的に出してました。倉橋のぞみ萩尾ゆかり山添みづき、女優転身した少女M、あとは諏訪野しおりとか、今でいう地下アイドルみたいな人気を誇る子達もいました。

『倉橋のぞみ13歳』(三和出版)
『山添みづき15歳』(三和出版)

オトナくん 検索したらまだ顔が出てくる……、うわ、みんなすごい美少女ですね!

斉田さん あとその少し前でいうと「清岡写真集」ですね。写真家の清岡純子が撮影した少女ヌードシリーズ。『プチトマト』シリーズとかは一時期ものすごい額になってましたね。

『プチトマト 清岡純子少女写真集』(ダイナミックセラーズ)

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