
文・インタビュー/オトナくん
物好きなマニアから犯罪者予備軍へ
オトナくん 80年代当時、そうした一連のロリコン雑誌や写真集に対して、世間からの批判とかはなかったんですか?
斉田さん 編集部には来てたのかもしれないけど、ライターの私には届いてなかったし、特にそういう空気も感じませんでしたね。当時はそれこそPTAのおばちゃんたちが徒党を組んで出版社に乗り込みでもしない限りは何も起きませんでしたから。
オトナくん マニアックすぎたってことなんですかね。漫画の性表現とかは結構問題になってましたよね?
斉田さん 『ハレンチ学園』とか『うる星やつら』とか、メジャーの世界は盛んにやられてましたね。ただ、それはあくまでもメジャー。こっちは売れててもアングラですから。昔はSM雑誌にしてもゲイ雑誌にしても、世間的には、そういうのを買うマニアがいるのね、ぐらいの認識。特に目にも入ってこなかったんでしょう。やっぱり世間がロリコン叩きに向かったのは1988年~89年にかけて起こった宮崎事件以降です。
オトナくん 宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件ですね。
斉田さん 日本中を揺らした事件ですからね。それまでもロリコンが起こした細かいわいせつ事件とかはあったんですよ。でも目に止まらなかった。宮崎事件で世間が一気にロリコンを知ったんです。それも嫌悪すべき犯罪者予備軍として。事件後、そうした空気の中で『ロリくらぶ』も廃刊を余儀なくされました。
オトナくん ロリコンに冬の時代が到来したわけですね……。
斉田さん そうですね。ただ、宮崎事件の前年に創刊していながら奇跡的に生き残ったロリコン雑誌がありました。それが『アリスクラブ』です。



オトナくん おお、伝説のロリコン雑誌ですね!!
斉田さん なんでも宮崎事件の時に警察は宮崎のアジトをくまなく家宅捜索したらしいんです。まあ80年代のロリコン向け雑誌やビデオが大量に出てきたそうですが、そんな中、『アリスクラブ』は出てこなかった。白夜書房がアリクラを創刊したのが事件の前年ですから、宮崎はまだアリクラを知らなかったんでしょう。だから、アリクラは生き残ることができたんだと言われています。
オトナくん 斉田さんはアリクラでかなり記事を書いてましたよね。そもそもアリクラ創刊のきっかけはどういうものだったんですか?
斉田さん ロリータブームの創始者の一人とも言われ、『ロリくらぶ』でも監修を務めていた作家の川本耕次という人がいるんですが、彼が食い扶持を探すために白夜書房の末井昭さんを動かしてアリクラを作った、というのがもっぱらの噂ですね。というのも、『ロリくらぶ』の後半はかなりソフト路線になっていて、売り上げも下がっていたんです。時代的にもおニャン子ブームなどもあって、ロリータよりもああいうギャルの前身みたいな感じの子たちに人気が集まっていましたから。そこで、よりマニア路線のロリコン雑誌を作ろう、となったんじゃないかなと思ってます。私はそれ以前に白夜系列の少年出版社から出ていた『クラスメイト・ジュニア』という雑誌に記事を書いてて、その縁があってアリクラにも絡むようになりました。

伝説のロリコン雑誌『アリスクラブ』とは
オトナくん 実際、アリクラには何が載っていたんですか?
斉田さん 少女グラビア、小説、漫画、投稿写真、あとは写真集やビデオのレビューとかですね。まあ、グラビアといっても、宮崎事件以降、国内でのモデル調達はかなり難しくなっていたし、警察の目も厳しくなってましたから、モデルは主に海外の、特に東南アジアの少女が多かったですね。カメラマンや編集者が高田馬場にあったロリコン専門ショップ「ぺぺ」と組んでアジアに行って、現地の子たちを撮影してたんです。そうそう、当時は「ぺぺ」のようなロリコン向け専門ショップが都内に何個かありました。上野の「ロリポップ」や大久保の「ミミ」なんかもそうですね。
オトナくん 斉田さんはアリクラでは何を書いてたんですか?
斉田さん 私は80年代のロリータブーム中に出た写真集やビデオを一つの歴史として紹介してましたね。当時の写真集なんかを接写して掲載してたってわけです。後にはロリータバブルみたいなことが起こって、かつて1500円くらいだった写真集がウン万円で取引されるようになり、さっきも言った清岡写真集なんかは30万円くらいまで跳ね上がってました。田舎の何も知らない古本屋に行って100円200円で売られているそういう写真集を買いあさって転売する競取り屋みたいな連中もいましたね。
オトナくん アリクラによってプレミア化したんですね。
斉田さん お前のせいだってよく言われますよ(笑)
オトナくん 当時はもうワレメは完全NGだったんですか?
斉田さん まあ法律が変わったわけじゃないんですが、ひとまずは自主規制してた感じですね。実は同時期に大人のヌードにおいてはヘア解禁が起こっていたんです。まあいずれもなし崩しというか、無言の圧力というか。少なくとも編集者たちは結構ビビってましたね。実際、宮崎事件以降は着衣も含めて少女の写真集というのは出なくなりましたから。
オトナくん アリクラも表紙は普通に可愛い感じですよね。マニア誌って感じじゃない。
斉田さん まあそれは『Hey!Buddy』の頃からですよね。当時、撮り下ろしは水着や制服、せいぜい偽パンチラが限界でしたから。菊池麻美とか人気ありましたね。
オトナくん でも、日本中のロリコンたちにとって最大の情報源だったって聞きます。児童館でのアルバイト体験記とかも載ってたとか。
斉田さん 最盛期には10万部くらい刷ってたらしいですからね。アジア系の子達でも西村理香とか、その後に大人気になった子もいましたしね。

オトナくん ちなみに90年代のロリコンメディアはアリクラだけだったんですか?
斉田さん まずテレビの方で子役ブームが起こって、安達祐実を始めとする美少女子役の水着写真集なんかは出るようになってました。それに、雑誌の方でもアリクラに追従するものが出てはいましたよ。私が監修を務めた東京三世社の『リトルリップス』やコアマガジンの『アリスクラブ・シスター』、綜合図書の『小説アリス』、あとは金銀財宝社の川端くんが出してた『スウィートローティーン』とか。ただ、いずれも児童ポルノ法施行以前にパタパタと廃刊していきましたね。自主規制とか言ってますけど、ようするに売れなくなったんでしょうね。ナくん おお、ついに規制の波が来たんですね!

オトナくん そして、アリクラもまた……
斉田さん 児ポ法施行で廃刊ですね。約10年続いたわけで、ロリコン雑誌としては最長寿と言えますが、あえなく1999年に幕を閉じました。ロリコンメディアの、これが終焉です。
オトナくん やっぱり児童ポルノ法は宮崎事件の影響で出来たものなんでしょうか?
斉田さん いや、それ以上に1996年に開催された国連の「第1回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」の影響がでかいでしょうね。日本からはおばちゃんの参議院議員が二人向かったんですが、向こうで日本の児童ポルノの現状についてかなり批判されたみたいなんです。一方でおばちゃんたち自身はそうしたものがあることすら把握していなかった。結局、涙目になって帰ってきて、これにより政府が目の色を変えて規制に走った、というわけです。
オトナくん いろんなものがクロスしてたんですね。
斉田さん まあ欧米では以前からロリコン弾圧はかなり激化していましたし、それに性的な部分だけじゃなく、当時、子供の人権というものに注目が集まっていた時代でもあったんです。飢餓や強制労働、そういうことも含めて子供の人権を守っていこう、と。だから、仕方がないといえば仕方がないですよね。
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炉リ(´∀`)コアマガジンって、まじイケてるよネ!!!(´∀`) |